ネタ帳2
高校3年の冬までは医学部を目指していた。函館の高校の寮に住んでいて、下の学年を指導するというチューター制度というのがあって、団長なんかをさせてもらったし、学校でも吹奏楽局(まだ部活に格上げされなかったから局扱い)のほかにインターアクト同好会(局にも格上げされてないから同好会)という、老人ホームの草むしりをしたり、支援が必要な方々の職場で、イカのおつまみなんかを袋詰めを無償で手伝ったりする活動をしていた。昼休みになると、声の高い倉橋先生という、数学の教師で、函館の訛りの辞書みたいな人が、決まって全校放送するのだ。「インターアクト野田、しょぐいんしづ(職員室)まで!」これがなんだか格好良くて、入会した。そんなことをしていたからAO入試を受けられた。仲が良かった芹川くんと一緒に受けて、彼が受かった。今は北海道の地域医療に従事する素晴らしい医師だ。
で、全然関係ない話だが、高校時代、寮を抜け出したり、賭け事したり、巧妙に商売をしたりしていた同級生がいて、ばったり羽田で会ったら、弁護士バッジ付けていて、人生って頭の使い方なんだと思った。遊び尽くした人は成功する模範だ。集中力は遊びで培うのが効率的なんだと思う。
それでもって、急に音楽の道に進む事になった。寿々苑という焼肉屋さんで話がまとまった。今考えると、叙々苑のパロディだったのか。今はもうない。冨永愛さんみたいなエキゾチックなアジアンビューティなオーナーが、ナムルを薦めてきた記憶がある。
ピアニストの先生に歌の先生を紹介してもらう事になった。北海道の声楽といえばこの人!長内先生である。そう。やっと話が戻ってきた。この先生も満州からの引揚者。
周りにたくさんの引揚者がいることに気づくのだが、今日は全然関係ない話がほとんどになってしまった。
明日はもう少し本題を綴ります。
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