ネタ帳1
1984年の2月という、小樽としてはまだ「大したシバれる(とても寒い)」頃に生を受けました。もちろん記憶はなく。でも日本語が喋れない乳幼児の時、周りのオバさまが見当違いの決めつけを施し、ちがーーう!!と仕方なく泣いた記憶はあったりします。
1枚目の写真はそんな真冬の、実家の最寄駅。南小樽駅。
でも幼稚園とか小学校の記憶の方が鮮明。と言っても、あまり覚えないタチなんです、過ぎたことはすぐ忘れてしまうというか、どうでも良くなってしまうので、本当に、あまり覚えていることが少ない中、「引揚者」って言葉は小さい頃から引っかかってよく覚えていました。
隣のコウちゃんていうお友達がいて、毎日遊んでいたんです。文字通り、隣に住んでいた。この写真はコウちゃん家の跡地。(コウちゃんたちが引っ越した後に燃えてしまった!!)
夏なんか、コウちゃん家の家業の木工の工場の匂いを嗅ぎながら2階に上がると「カツゲン」を一杯いただくんですね。おばあちゃんと住んでいて、それが美味しかった。そのおばあちゃん。通称松村さんのおばあちゃんもどうやら「引揚者らしい」って聞いたのは小学生の時でした。その頃は、へえ、日本じゃないところから帰ってきたんだって。くらいの感じでした。
松村さんが僕にとっての最初の「引揚者」の記憶です。
ネタ帳2へ続く!
これはおまけの写真。コウちゃん家跡地の今。うちの母のローズガーデンです。
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